たとえば、オセロは囲碁や将棋より普及していますが、なぜプロが成り立たないのですか。
歴史が違いすぎるといわれると思いますが、普及度を考えればプロがいても不思議ではありません。
テレビでも放映されない、プロが存在できない歴史以外のほかの理由はなんでしょうか。
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「商業的に成り立たないから」、ぶっちゃけた言い方(?)をすれば
「金を払ってでも見たいと思うものを提供できないから」。
理屈はスポーツ(プロ野球・Jリーグなど)と同じでしょう。
オセロは最長60手(※)で終了するので、
時間的にも内容的にも「金を払ってでも見たいと思うもの」を提供するのは難しそう、
ということではないでしょうか。
将棋や囲碁のタイトル戦(の予選)は、主催する新聞社の新聞に棋譜が載るので、
その新聞を取る≒金を払ってその将棋を見る、と言えるでしょう。
※…最初の1手は盤面を回転させればすべて同じ形と見なせるので、事実上59手。
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voda1472さんに同意します。
やっぱり、プロが成立するためには そのシステムに深さが無ければなりませんが、 歴史が浅いことに加えてオセロは その深さを感じることができないゲームと言えましょう。 遊びとしては成立しますが、プロとして成立するほどのものではありません。
【質問補足後追加】
その補足の質問よりも本質問のほうが この問題の本質を極める意味では良かったです。 囲碁と将棋は深さを感じることができるゲームであるのに対して オセロは その点が感じられない。 どちらかというと 実力よりは運が左右する可能性が高いと感じられているのではないでしょうか。 そうなってくると、プロというのは成立しにくくなります。
最近、将棋ではコンピューターのほうが力をつけてきてプロ棋士の評価が下がるような風潮があります。 これ自体は意味が無いのですが、そういう材料でも考え方や意識の差で そういうことになってしまいます。 オセロも そういう点が解決できていれば良いのです。
その点で指摘できるのが ボウリングです。 ボウリングはレーンの油の状態によって結果が左右されるゲームであり、ゲームによってはプロでもアマ相当のスコアしか得られないことがあります。 ただ、一流のプロに関しては おおむね認められるだけのスコアを得ていますが、二流以下のプロですと一般的上級のアマとの差が大して無い上、中級レベルでも マグレでプロに勝てる可能性のあるところであり、 一般的にプロ大会の賞金は低いスポーツであります。 これと同じような認識に立てば、オセロにプロが無いと言うことは説明できるのではないでしょうか。
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プロは存在していませんが、世界大会はあります。
プロ化するには、それに対してスポンサーが要ります。
お金を出すスポンサーが納得できるような、
宣伝効果がなければなりません
しかし、オセロにそれだけの魅力は残念ながらありません。
もうひとつ、プロになったからといって生活していけるような
状況になるとも到底思えません。
それに普及度はありますが、囲碁や将棋ほどではありません。
趣味としてみても、囲碁や将棋好きの人の時間の掛け方や
お金の出費にくらべれば、天と地の差があります
出版物の多さを見れば、一目瞭然です。
話はそれますが、オセロ8×8マスのゲームですが
6×6マスの場合では、すべての着手が解析されており
16対20で後手勝利の解明がなされています。
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駒が2種類(厳密には1種類ですが)しか存在せず、
配置できる場所が限られる為、
置き場所によって先が最後まで読みきれてしまう
可能性があるからではないでしょうか?
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手の広がり方が少ないからでしょうね。
誰が打っても同じような打ち方ができるから…
確率を考えると仕方がないと思います。
逆に麻雀、将棋、そして何より囲碁については
無限の手の広がりがありますからね。
そこがプロが存在する所以です。